いいひとの『心』の厠

あなたの為の心の厠です

普通って何?

18歳高卒で社会に出て少しした頃


中学時代の友達の、大学での友達という紹介で

自分は同い年の、こんな女の子と出会いました

 

黒のミニスカートのワンピースに

お菊人形みたいな黒くて長い髪
真紅の唇と真っ赤なネイル
耳にはたくさんのピアス

 

そしてなんとスカートから伸びる両太ももには墨で描かれた鮮やかな龍が

 

 

ごくごく平凡に暮らしていた自分にとってはとんでもなくショッキングな出会いでした

 

とりあえずカフェに入り共通の話題で少し話した頃

 

「自分のことって、どう思う?」
と言われました

 

考えた事もなかった自分は
「うーん、うーん」
と口ごもり悩みながら一言を絞り出しました

 

「普通?かな」

 

すると、どうやら彼女のスイッチを押す一言になっていたようで
「普通って何?」
と、すかさず切り返して来ました

 

「いや、特にこれと言って思い浮かばなかったから」
と苦笑い混じりに答えると

 

「普通ってさ、それはあなたの価値観では普通であっても、私から見たら全然普通じゃないんだよ、あなたも変わってるよ」

 

 

それを言われて衝撃でした
そんな考え方した事なかったから

普通ってみんな同じ普通だと思ってた
普通からはみ出たら
変わってたり
凄かったり
見られるんだと思ってた
だから自分はそこからはみ出ないよう静かにしてた

 

まさか、自分が変わってる?

 


受け入れられず引きつった笑顔をする自分を察したのか
「私は普段からこうだから、これが普通だよ、見たとき変わってる子だって思ったでしょ?」
と見透かされて一言を

 

流石に「うん、思ったね」
と返すしかありませんでした

 

 

自分は普通で、その子が変わってる
そう思ってたから

 

 


それからその子と価値観の話をしました

 

人と人は暮して来た環境が違うからその中の価値観の尺度は違って当たり前

 

「偏見」って言葉はネガティブなイメージだけど
その人の人生の尺度が偏ってるのは価値観の違いがあるのだから当たり前

 

「刺青を入れてる人」に対する偏見
「刺青を入れてる人に対して偏見がある」という偏見
「刺青とタトゥーでの違い」による偏見

 

それぞれの立場にそれぞれの見方があって
それはどれも
自分の偏った位置から見た見解なんだと

だから偏見を持って当たり前

 

変わってて当たり前だと

 


自分はこの言葉に救われた気がした
普通の中に入るために
自分の人と違う変わったところを
日々すり減らして丸めようと必死だったから

 

ありのままの自分受け入れたら
こんな楽な事はないんだとそう気付いた

 

 

 

あなたはどうだろう?

 

自分の事普通だと思いますか?

 

変わってると思いますか?

 

 

 

普通ってなに?
自分を普通だと思っていることこそ
偏見なのかもしれません

 

 

 

何者でもない

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