いいひとの『心』の厠

あなたの為の心の厠です

④上手で見事であることよりも、一生懸命さと素直さが賞賛される。

自分が24歳の頃

会社のとある実技系の教育に参加した時のこと

 

その教育では

講師が課題キットの作業を説明し

受講者が各自で説明された工程を

実際に作業をしてみる
という流れで進めていたのだが


各自で課題を組む時間になっても
何をやったらいいかわからず
置いてけぼりになっている
受講者が続出していた

 

講師はその教育を何年も教えているベテランばかり

 

それに対して受講者は新人社員が対象で
工具の名前や扱い方もほぼわからない状態

 

教える、教わる双方に
伝わらない言葉のギャップや
わかっているだろうという様な思い込み
自分だけに時間を割かせるわけにはいかない
わからないけど後にしようという気使い


お互いの言葉が足りない状態でした


その中で自分は
受講者の年齢的には何で今更受けにきた?
くらいそれなりに工具の名前や扱い方はわかる

隣にいる受講者がわかっていない事も
理解できたので

 

自分の工程を進めながら隣の人やそのまた隣の人にまで教えながら教育を受けていた


1ヶ月の教育期間を終え
課題キットを組んで仕上りの点数を競う競技会が有りました


自分の結果は上位3割入賞の

そのギリッギリ3割に滑り込み入賞


もっといい順位狙えたかもしれないのに
自分の課題に集中して練習してなかったせいだ
練習でうまく仕上げる事にもっとこだわっていれば

なんて少し後悔してた

 

そして次の年
不足の講師を補う為という事で
講師として参加してほしいとお声がかかった

 


まさかと思った
自分より成績が良かった受講者は
何人かいたはずだったから

 

講師として1年目

とりあえずやれる事を
と思ってひたすら受講者に近い立場として
頭の上に「?」の出てる人のところに飛んでいくことを心掛けた

 

講師としての初の教育期間を終え

講師だけの飲み会の席でのこと

 

「何が出来たかわからない」

という自分に対して
講師を統括してる方から言われたのは

「周りのやつ教えながら教えてたから
もしそれなりの点数取ったら呼ぼうと思っていた
こいつの面倒見の良さは絶対講師として向いてると思った

今年の働きぶりみて正解だったと思ったよ」

だった


絶対に見てくれてる人はいる
なんて事はない
あくまでも自分の為にやれる事をと

努力していたことが
たまたまニーズと合わさっただけ
だけど良い努力を続けていれば
そこに目を向けてくれる人もいる

 

そして今年は
講師として参加して早7年目

 

成績優秀で呼ばれている他の講師とは
違うスタンスで徹底的に落ちこぼれさせない
一か月の頑張りを自信に変えてもらえるように
全員を入賞ラインまでの点数が取れるようにする

 

を目標にしてそれなりの成果に貢献してきたつもりだった

 

けど、この考え方をやめた
自分に矢印の向いた間違った目的に走っていた事に気付かされましたからだ

 

この教育の種目は現場では
正直クソほどの役にも立たない

なぜなら現場でその工程を行うのは設備だから

人が手でドライバー使って締めるってほぼない

 

 

だから、たとえ優勝したとしても
講師からすれば1か月の頑張りの成果だと喜んであげられても
現場では、「おー、すごいね」程度

 

どこで活躍するための教育か?
誰に認められたら受講者がその後輝けるのか?

 

それはやっぱり現場だ


この課題のキットを上手く組める様になるという目的は大事ではあるが

それはあくまで手段

 

その過程で得られた気付きを現場で役立たせることこそ

 

真に教育を通し現場で輝ける
仕事を一生懸命に出来る人材になる事なんだと考えた

 

自分がたまたまそうであった様に

 

それぞれがその人らしいやり方で認められて欲しいと自分は思う

 

 

上手で見事であることよりも、一生懸命さと素直さが賞賛される。